伯夷列伝第一 vol.61
孔子は70人の門弟のうち、ただ顔淵ひとりを「好学の士」と賞賛していた。
その顔淵は、短い生涯の大半を貧乏暮らしで過ごし,粗末な食事で飽きることがなかったという。天が善なるひとに報いるという運命とは,何なのだろう。
かたや,著名なマフィアのボス盜蹠は、毎日罪なきひとびとを殺し、人肉を喰らうなど暴虐をほしいままにして数千人の手下を従えて天下に横行したが、天寿をまっとうして豊かに暮らした。これなど、盜蹠のどんな行いの良さに依ったものだといえるのか。
これらの先例から、天道のもたらす神意の実態は明らかなようではある。
やはりこの現代でも,人倫や法に背いた行いを続け、それで終生豊かに楽しく過ごして子孫まで繁栄している例は枚挙に暇がない。
あるいはその逆で、しかるべきときに正論を主張し、安易な妥協をせず、世のため人のためといった公平な問題でなければあえて怒ることもないような正義の者がトラブルに襲われ,不運な目に遭うというケースが、これまた数え切れない。
わたしは大いに惑わされてしまった。
或所謂天道是邪非邪
あるいは、いわゆる“天道”とは,「是」なのか「非」なのか,と。